東京高等裁判所 平成2年(行ケ)9号 判決 1991年5月28日
アメリカ合衆国 〇一九一五 マサチユーセツツ州 ピバリー チエリー ヒル ドライブ 七一
原告
ダイナパート エイチテイシー コーポレーシヨン
右代表者
ロナルド ピー タイトルバウム
右訴訟代理人弁理士
秋元輝雄
同
折元保典
右訴訟復代理人弁護士
安田有三
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官
植松敏
右指定代理人通商産業技官
古賀洋之助
同
松木禎夫
同
大槻清寿
同 通商産業事務官
高野清
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を、九〇日と定める。
事実
第一 当事者が求める裁判
一 原告
「特許庁が昭和六三年審判第一六八九〇号事件について平成元年八月一七日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文第一項及び第二項と同旨の判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五七年六月二三日、名称を「蒸気処理装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について、一九八一年六月二三日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和五七年特許願第一〇八二四一号)をしたが、昭和六三年五月二六日拒絶査定がなされたので、同年九月二六日査定不服の審判を請求し、昭和六三年審判第一六八九〇号事件として審理された結果、平成元年八月一七日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年一〇月一四日原告に送達された。
なお、原告のための出訴期間として九〇日が附加されている。
二 本願発明の要旨(別紙図面一参照)
ワークを処理する処理室を備え、
この処理室内には、ワーク処理のための蒸気ゾーンが形成され、
この蒸気ゾーンヘワークを導入するコンベヤを備えた導管と、処理済みのワークを排出するコンベヤを備えた導管とを、前記処理室に連結し、
前記導管それぞれには、中の処理蒸気が大気へ出るのを防ぐため、当該導管の長さの少なくとも一部に、処理室から流れ出す蒸気を凝縮する第一冷却手段が内蔵され、
各導管が、ワークが丁度通過できるように選択され、導管中の処理蒸気の外方への流れを妨げるため所期の流れ抵抗を形成するための横断面積と長さを有している構成から成る、
蒸気処理装置
三 審決の理由の要点
1 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
2 これに対し、昭和五〇年特許出願公開第五四五五二号公報(以下「引用例」という。別紙図面二参照)には、「溶着作業を行うための熱い飽和蒸気を収容する容器8、18を備え、
入口導管9、19、及び、出口導管10、20が、容器に連結され、
各導管内に冷却コイルが設けられ、
容器及び各導管内に溶着される物品を移送するコンベヤ装置が配置されている、
溶着装置」
が記載されている。
3 本願発明と引用例記載の発明を対比すると、引用例記載の「容器、入口導管、出口導管、冷却コイル」は、本願発明の「処理室、ワークを導入する導管、ワークを排出する導管、第一冷却手段」にそれぞれ相当する。したがつて、両者は、本願発明が、
「各導管が、ワークが丁度通過できるように選択され、導管中の処理蒸気の外方への流れを妨げるため所期の流れ抵抗を形成するための横断面積と長さを有している構成」
を有するのに対し、引用例には右構成が明記されていない点において相違し、その余の点においては一致する。
4 右相違点について検討するに、この種の溶着装置は、本来、処理蒸気が外部へ流出することの防止を意図しているものであつて、導管の横断面積及び長さも、当然そのような意図に添つて選択されるべき設計事項である(例えば、アメリカ合衆国特許第四一一五六〇一号の明細書(以下「周知例」という。)を参照)。また、引用例に示されている図面にも、蒸気の流出を防止し得る導管の形状が示唆されているとみることができる。
これらの事実を勘案すると、相違点に係る本願発明の構成を採用することは、当業者ならば格別の創意を要したとは認められない(なお、本願発明は第二冷却手段を必須の要件とするものではないから、これを必須の要件とすることを前提とする請求人(原告)の主張は理由がない。)。
5 以上のとおり、本願発明は、引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第二九条第二項の規定により、特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
本願発明と引用例記載の発明が審決認定の点において相違することは争わない。しかしながら、審決は、本願発明と引用例記載の発明の一致点の認定及び相違点の判断を誤り、ひいて、本願発明が奏する作用効果の顕著性を看過した結果、本願発明の進歩性を誤つて否定したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。
1 一致点の認定の誤り
審決は、本願発明と引用例記載の発明は「各導管に冷却手段が内蔵される」点において一致するとの趣旨の認定をしている。
しかしながら、本願発明が要旨とする「導管の長さの少なくとも一部に(中略)第一冷却手段が内蔵され」とは、第一冷却手段が「導管を形成する壁の内部」に設けられることを意味する。このことは、本願明細書が「内蔵一の用語を、「管路」あるいは「管路内」の用語と厳密に使い分けていること、及び、本願発明の一実施例を示す別紙図面一の図1の40、42の表示によつても、疑いの余地がない。
これに対し、引用例記載の発明の冷却コイルが導管の中空部に設けられていることは、別紙図面二の図2の11、12の表示によつて明らかである(ちなみに、引用例記載の冷却コイル11、12は、蒸気を凝縮させ処理室に滴下させるための部材であつて、強いていえば本願発明の冷却コイル22に相当する。)。
したがつて、審決の判断は、誤つた一致点の認定の上になされたものであつて、誤りである。
2 相違点の判断の誤り
審決は、相違点の判断に当たつて、周知例には処理蒸気の外部への流出を防止するために導管の横断面積及び長さを選択することが記載されており、引用例にも蒸気の流出が防止される程度の導管の形状が示唆されている、と認定している。
しかしながら、周知例に記載されているのは、ワイパー177、178によつて装置を密封することと、蒸発したワーキング液を拡散トラツプ134、135の外表面で冷却し下方の樋で受けることによつて、蒸発したワーキング液の散逸を防止する技術であつて(別紙図面三参照)、導管あるいはその形状には関わりがない技術である。また、引用例記載の導管は、ワークの数十倍もの横断面積の開口部を有するものであつて、処理蒸気に対する流れ抵抗を形成するとの技術的思想はおよそ認めることはできない。そして、本願発明の導管は、ワークがちようど通過できるように選択され横断面の形状がワークの形状に即したものになるため、異なる形状のワークには対応し得ないことになるが、本願発明は、導管の汎用性をあえて犠牲にして処理蒸気の散逸防止を企図したものであるから、相違点に係る本願発明の構成を採用することは当業者ならば格別の創意を要したと認められないとした審決の相違点の判断は、誤りである。
3 作用効果の看過
本願発明は、前述のように導管の中空部に冷却手段を設ける必要がないから導管の断面をワークが丁度通過できるように選択でき、冷却手段との相乗効果によつて、外部へ逸散しようとする蒸気を導管内部においてほぼ一〇〇%補捉し得るとの作用効果を奏するものであり、右作用効果は引用例記載の発明によつては達成することができない。
しかるに、審決は、本願発明が奏する右のような顕著な作用効果を看過したまま、本願発明の進歩性を否定したものであつて、誤りである。
第三 請求の原因の認否、及び、被告の主張
一 請求の原因一ないし三は認める。
二 同四は争う。審決の認定及び判断は正当であつて、審決には原告主張の違法はない。
1 一致点の認定について
本願発明が要旨とする「導管の長さの少なくとも一部に(中略)第一冷却手段が内蔵され」とは、「導管内に冷却手段を有すること」を意味する広い概念であつて、その中には、本願発明の実施例のように「導管を形成する壁の内部」に冷却手段を設け、あるいは、引用例記載の発明のように導管の中空部に冷却手段を設けるなど、種々の態様が含まれ得るのである。
それゆえ、本願発明の要旨を、第一冷却手段が「導管を形成する壁の内部」に設けられる構成のみに限定する原告の主張は失当である。
2 相違点の判断について
原告は、周知例に記載されているのはワイパー及び拡散トラツプによつて蒸発したワーキング液の散逸を防止する技術である、と主張する。
しかしながら、周知例には、拡散トラツプの外側の蒸気を冷却しその凝縮液を樋で回収することのみならず、拡散トラツプとじやま板が協同して蒸気の散逸を防止する技術も記載されている。すなわち、出口132に結合される拡散トラツプ134及びじやま板205、206に形成されている、ウエプ100を通すための通路は、間隔が近接し十分に長いものであるから、蒸気の外方への流出を妨げる機能を有することは明らかである。したがつて、周知例には、ワークが通過する通路の形状を流体の流れを妨げる抵抗を形成するような横断面積と長さにする技術的思想が示されているというべきである。
3 作用効果について
本願発明の作用効果として原告が主張するところは、前記のとおり本願発明の要旨に基づかない構成を前提とするものであつて、失当である。そして、導管に冷却手段を内蔵することによつて、外部へ逸散しようとする蒸気を導管内部においてほぼ一〇〇%補捉し得ることは、引用例記載の発明の冷却コイルを内蔵する導管の形状を前記相違点に係る本願発明の構成とすることにより、当業者ならば容易に予測し得た事項にすぎない。
第四 証拠関係
証拠関係は本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いない甲第二号証(願書添付の明細書)及び第三号証(手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について左記のような記載の存することが認められる(別紙図面一参照)。
(一) 技術的課題(目的)
本願発明は、気相雰囲気において、ハンダ付け等の接合加工、あるいは金属表面の脱脂作業を行う、蒸気処理装置の改良に関する(明細書第四頁第七行ないし第九行)。
この種の装置としては、加熱した蒸気の熱によつてワーク上のハンダを溶かし接合加工を行うものが周知であり、その場合の処理蒸気は、フルオロカーボン溶液を加熱気化したものが一般的である。しかしながら、右蒸気は有害であるから、その発散は作業者の健康を脅かすのみならず、蒸気発生源の溶液は高価であるから、蒸気を大気中に発散させることは極めて不経済である(同第四頁第一〇行ないし第五頁第九行。なお、「ワーク」とは、明細書第一二頁第一五行及び第一六行によれば、「プリント回路基板のような薄板(シート)状のもの」を指す。)。
そこで、蒸気の散逸を防止する手段が幾つか提案されているが、装置が複雑になり、ワークを腐触し、腐触防止剤を用いると有害ガスが発生する、あるいは構造が複雑で蒸気の逸散を防止できない等の欠点がある(同第五頁第一〇行ないし第六頁第一〇行)。
本願発明の課題は、従来技術の右問題点を解決する装置を創案することに存する。
(二) 構成
右課題を解決するため、本願発明は、その要旨とする構成を採用したものである(手続補正書三枚目第三行ないし第一五行)。
本願発明の構成は、要するに、処理室をほぼ密閉状態とし、ワークを導管を介して処理室に送り込んで蒸気処理を行つたのち他の導管を介して外部に送り出すようにすると共に、処理室から導管を通つて大気中へ逃げようとする蒸気を、導管内に配設した冷却コイルにより凝縮して捕え、処理室に戻すことによつて、蒸気の逸散をほほ完全に阻止するものである(明細書第六頁第一一行ないし第一八行)。
これを一実施例によつて説明すると、図1の密閉された処理室10の両端に開口12、14を設け、処理されるワーク26は右開口を介して処理室に導入され、排出される。処理室10の底部に液体16が溜められ、ヒータ18によつて加熱されて、蒸気20が処理室10内に発生する(同第七頁第三行ないし第九行)。
処理室10の両側面から外方に向けて導管28、30が水平方向に突出し、各導管の基端は開口12、14に連通する(同第七頁第一五行ないし第一八行)。
第一冷却手段である冷却コイル40、42は導管28、30に内蔵され、処理室10内の蒸気ゾーンから流れて来る蒸気を凝縮し、蒸気の外部への逸散を防止する(同第八頁第八行ないし第一二行、手続補正書二枚目第七行ないし第九行)。
導管28、30の管路は、蒸気の流れを妨げるように長く、かつ細径である。また、開口12、14と導管28、30の管路の断面は、ワークの通過を許容する限度一杯に細い(明細書第八頁第一六行ないし第九頁第一行)。
(三) 作用効果
本願発明によれば、処理室からの蒸気の発散ないし流出がほぼ完全に抑止されるので、作業環境が有害な蒸気の発散により汚染されるおそれがなく、ワークの処理作業を衛生的に行うことができる(同第一七頁第一行ないし第五行)。すなわち、処理室から各導管にエスケープした微量の蒸気は、導管内に配置された冷却コイルによつて凝縮され補捉されるので、外部へ逸散する蒸気はゼロに近く(同第一三頁第一一行ないし第一四行)、導管の管長及び開口断面積を調節することによつて、外部へ逸散しようとする蒸気をほぼ一〇〇%補捉することが可能である(同第一四頁第三行ないし第五行)。なお、蒸気のリサイクルによる再使用が可能であるから、高価な蒸気を無駄なく使用でき、極めて経済的である(同第一七頁第五行ないし第七行)。
2 そして、本願発明と引用例記載の発明が審決認定の点において相違することは、原告も認めて争わないところである。
しかしながら、原告は、本願発明の第一冷却手段が「導管を形成する壁の内部」に設けられるものであることを前提として、本願発明と引用例記載の発明が「各導管に冷却手段が内蔵される」点において一致するとした趣旨の審決の認定は誤りであると主張する。
そこで考えるに、本願発明が要旨とする「導管(中略)に第一冷却手段が内蔵され」とは、第一冷却手段が、字義どおり、「導管」の「内」に「蔵され」ていることを意味するにとどまり、これを、原告が主張するように「導管を形成する壁の内部」に配設されるものにのみ限定すべき理由は、全く存しない。この点について、原告は、本願明細書は「内蔵」の用語を「管路」あるいは「管路内」の用語と厳密に使い分けている、と主張する。しかしながら、「導管に内蔵する」との表現は、特に留保がない限り、「導管の中空部に配設する」の意味であると理解されるのがむしろ通常と考えられるところ、前掲甲第二号証及び第三号証によれは、本願明細書に記載されている「内蔵」の用語が、右のような通常の意味とは異なる特別の意味(すなわち、「管路」あるいは「管路内」の用語の概念とは相容れない、特殊な概念)において用いられていると解すべき根拠は、本願明細書の記載中には全く見いだすことができないのである。
本願明細書の発明の詳細な説明の項には、実施例として、第一冷却手段である冷却コイル40、42を導管28、30の内部に設けた構成が記載されていることは、前記1(二)認定のとおりであるが、実施例はその発明の実施態様の例を示したものであつて、本願明細書中に右「内蔵」の用語が特別の意味に用いられていると解すべき記載も示唆も存しない以上、実施例の記載を根拠に、本願発明における「当該導管の長さの少なくとも一部に(中略)第一冷却手段が内蔵され」る構成を、導管を形成する壁の内部に第一冷却手段が設けられる構成に限定することはできない。
そうすると、原告の右主張は、ひつきよう、発明の要旨をその実施例に基づいて限定しようとする不当なものに帰着するといわざるを得ず、到底採用することができない。
3 また、原告は、相違点に係る本願発明の構成を採用することは当業者ならば格別の創意を要したと認められないとした審決の相違点の判断は誤りである、と主張する。
しかしながら、本願発明が対象とする蒸気処理装置においては、従来から、蒸気の外部への逸散防止が重要な技術的課題(目的)とされてきたと考えられる(このことは、前記のように本願明細書に従来技術の問題点として記載されているし、成立に争いない甲第四号証によれば、引用例にも「熱転移液の飽和蒸気のいくらかが、作業が大気に対して解放されて行なわれる場合に大気中に漏出する問題が生ずる。(中略)この液体は非常に高価である。その結果、大気中への蒸気の漏出損失は経済的に大きな問題となり、この損失を減少又は除去することが望ましくなる。」(第三頁左上欄第一〇行ないし末行)と記載されていることからも明らかである。)。
したがつて、蒸気処理室と外部とを結ぶ導管を配設する構成を採用するときは、その導管の横断面積及び長さを蒸気の逸散防止の目的に副うよう適宜に設定することは、周知例の記載事項について検討するまでもなく当業者として当然の事項というべきであつて、相違点に係る本願発明の構成のように設計することに格別の創意を要したとは到底考えられないから、導管の横断面積及び長さは設計事項であるとした審決の判断に何ら誤りはない。
4 さらに、原告は、審決は本願発明が奏する顕著な作用効果を看過した旨主張する。
原告の右主張は、本願発明が導管の中空部に冷却手段を設けない構成であることを前提とするが、本願発明の要旨がこのような構成に限定されないことは前記2に説示したとおりである。そして、本願明細書には、本願発明によれば、処理室からの蒸気の発散ないし流出がほぼ完全に抑止されるので、作業環境が有害な蒸気の発散により汚染されるおそれがなくワークの処理作業を衛生的に行うことができる、と記載されていることは前記1(三)認定のとおりであるが、右の作用効果は、引用例記載の装置において、処理蒸気が外部に流出することの防止を意図して導管の横断面積及び長さを設計することにより、当業者が通常予測し得る範囲のものにすぎない。
したがつて、審決には本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した違法はない。
5 以上のとおりであるから、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定及び判断は正当であつて、審決には原告が主張するような違法はない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担、及び、上告のための附加期間を定めることについて、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 佐藤修市)
別紙図面一
<省略>
<省略>
別紙図面二
<省略>
別紙図面三
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